何にかあるたびに歌われてきた、がんばりましょう
その時々の元グループの映像が、今でも思い出される。
その度毎に、元気づけられてきた。
だからこそ、そのあとの無残さに胸が痛む。
正直に言うと、コンサートで、グループの歌を歌ったと知ったときは、ちょっと複雑な気持ちになった。
新たに旅立ったのだから、グループを思い出すような歌は歌ってほしくないと思った。
木村君こそ、過去を一番必要としてないのになぜ?という想いが強かった。
それに、グループの歌を歌えば、また変なこじつけ、あるいは中傷が付いて回るに決まっているもの。案の定、だったけれどね(笑)
でも実際に聞いてみたら、思いのほか平気だった、というか、感動してしまっていることに驚いた(笑)
ファンである私にとっては、あの解散は思い出したくもない苦い思い出、でも木村君にとっては、グループであった時間も、楽曲も葬り去ってはいけないものだったのだ、と感じた。
かつてのグループの楽曲を歌う木村君は、私の狭い器量が恥ずかしくなるくらい、何の雑念もなくいとおしそうに歌っているように見えた。
グループとしていた時間も、そこで歌ってきた歌も、いとおしい。
こんなことを書くと、木村君は再結成を望んでいるとか、かつての仲間と一緒になりたがっているとか、思われそうだけど、それは全然違うと思う。
過去を大事に思うのと、過去に戻りたいのは全く違う。戻れないから、大切なのだと思うし、無念という言葉が出たのだと思う。
過去を胸に、一人で歌う夜空ノムコウは心にしみた。
それとはちょっと違う意味で、さんタクで歌ったがんばりましょうは感動的だったなと思う。
決別したかつてのメンバーの代わりに、彼を慕う後輩たちがいる。
がんばりましょうは、また新しく生まれ変わったのだと思った。
私は、他のメンバーがグループの曲を歌わないのは、彼らのけじめなんじゃないかと思っている。
いつか歌いたくなったら歌えばいいと思うし(歌えないわけではないようだから)そうしたらまたそこでその曲が生まれ変わるんじゃないかと思う。