ほんのりと温かくなるような番組だったな。
清志郎さんは、同時代を歩いてきて、いつも視野のどこかにあって、
何かあった時、清志郎さんはどっちを向いているかというのが気になる存在でもあった。
そして、清志郎さんが進む方向がより良心に近いんじゃないかと思える存在だった気がする。
だからなくなってしまったとき、思いもかけないほどショックを受けたのを覚えている。
そんな清志郎さんと、様々なかかわりをしてきた人たちの語るエピソードは、どれも温かく、恥ずかしそうに、そっと手を差し伸べる清志郎さんの姿が見えるようだった。
キヨシローの歌は、キヨシローの声でしか聴きたくないという人がいるのはよくわかる。私も初めて、コンサートDVDで弱い僕だからを聞いた時、いかに大好きな木村拓哉でも、これじゃない!感を感じてしまったから(笑)
ファンというのはそういうもんだと思う。
でも時を経て、あの頃の清志郎さんの年齢になった木村拓哉が歌う弱い僕だからは、何の違和感もなく木村拓哉の歌になっていた気がする。これもまたファンだからかもしれないけれど(笑)
子供たちが小さいころ、車の中で流れていたキヨシローの曲に合わせ
て、♪烏合の衆!烏合の衆!♪と意味も分からずに歌っていたのを懐かしく思い出した。