ふと

木村君の住んでいる世界は、何かと数字で判断されることが多い
視聴率から始まって、興行収入やら本の売り上げやら
木村君に期待される数字はいつも、とても高くて、理不尽だと思いながらも、何とかしてクリアしてほしいと願ってしまう
その高すぎる数字には、クリアできなかったときの中傷がセットになっているからだ
いってみれば、そういうものを見たくない自分のためでもある

好きな人が理不尽に中傷されるのは、つらいから、何とか応援できるものは応援したいと思って一生懸命ファンは数字に貢献しようとするわけだけど、
なんだかね、近頃そういうことにふと疑問を持ってしまう瞬間がある

例えば私はツィッターで目にした、情報サービスの登録数が少ないとかわいそうという言葉に、とても複雑な気持ちになってしまったのだけど、
そのかわいそうという気持ち、は誰のため?
数が少ないのはかわいそうな事なの?かわいそうで積み上げた数字は意味があるの?

わが子のために、なんでもしてあげたい母親のような気持ちなんだろうと思う
私にも少なからずその気持ちはあって、多少無理をしても、売り上げに貢献しようと頑張ってしまったりしている
お金ならあるわよと豪語するファンもいて(笑)それはそれで頼もしいファンの存在は、タレントさんにとってこれ以上のものはないのだろうと思う
以前なら、当たり前に共有できたそういう感覚がわたしのなかで薄れてきてしまっている

私はUOMOの写真を見、きむらくんは、そうゆう母親的な世界からもでていったのではないかと思った
ファンが、「何とかしてあげなくちゃ」と必死で後押しする世界があってもいいけど
もう木村君はそこにはいない気がした
一人で戦って、認めてもらえる人に認めてもらえればいい。ついてこられる人だけついて来てくださいという姿勢
今まで通りにファンが求めるキムタク像を保っていたら、ある程度の成功が保証されている
でも、彼はゼロになっても、すべてをいったんリセットしたように思えた。

熱烈なファン(母性的なファン)に支えられているアイドル、
アイドルをやめた彼は、その母性的に守られている世界からも出ていったのだと思った
木村君がファンを大事にしているのはよく知っているけれど、彼はそこに甘えてないのだと思う。


あれ以来、ファンの中にいろいろな対立が生まれて、もうパラレルワールドのようになっていたけど、私が最も受け入れられなくなった来たのは、この母性的に守ろうとする世界なのだと気が付いた
もちろん自分もその一員であった訳だけど、ふとファンも変るときにきているのかな、と木村君の腹のくくり方を見て思った