中途半端な人がいない現場

2011年のSPURを見た。
メンズノンノの現場のことを語っている。
スタイリスト、カメラマンなどスタッフは親しい人ばかりだけど、そこになれ合いはない。
中途半端な人がいない現場、だから自分も全力でやっていると語っている
木村君には、同じ志の仲間がたくさんいる。
今更ながら木村君は自分の世界をしっかり持っている人なんだなと昔の雑誌を見て思った。
木村君にはジャニーズとは違う世界があると井ノ原君が言っていたように、若いころからいろいろな人と出会い、本気でぶつかりあって広げた世界は、私が思うよりずっと広いのかもしれない

木村君はフレンドリーだとよく言われるけれど、それは誰にでも心を許すということではないと思う。
本当に尊敬できる人、心を許せる人は厳しい目で選んでいるんじゃないのかな。そういう人があんな環境の中でもたくさんいるってすごいことだと思う。
類は友を呼ぶ。

ちょっと話は違うけど、一連の騒動の中で、どうしても、芸能人やコメンテーターをあっち側の人と、こっち側の人に分ける癖がついてしまったけれど、よく考えると、本当に個人的に親しい人でもない限り、あっちもこっちもないんじゃないかと思うようになった。
みんな仕事、所属するところにより多少の派閥はあっても、あっちにつくもこっちもない。TV局なり番組の意図通りに動く人たちなのだ
私は木村君と一緒に仕事をした人たちが、あの騒動の中、木村君に悪意のある報道の仕方を見ても何も反論せず黙ってうなずいているのを見てがっかりしたけれど、あの人たちは全く逆の立場の報道でも黙ってうなずくのだろうと今は思っている
そういう意味では、だれも敵ではないし味方ではない。

今回海老蔵さんのブログを読んで、プロという言葉を思った。
求めてくれる人のところに赴く。
3人ののところに出演もするが、残りの二人の番組にも出たいときちんとくぎを刺す
「さすっがすね」
対立を鮮明にしたいように見える元スマップ3人の側(ニューとは言いたくない、彼らはあくまで元スマップだ)
そこに乗らない賢さを感じた。

一連の騒動の中で、どうも対立をあおるやり方が、意図的にいろんなところであった気がするけれど、それにまんまと乗らないように気を付けたいと思う

アッチもこっちもない、最終的に残るのはよい仕事。
木村君の賢さは、若い時からきちんとこのことをわかっていたことだ。

元メンバーの3人のやりたかったことは、20代のSMAPだったら、アリだったかもと思うけれど、独立のやりかたも含めて、疑問に思ってしまった
I女史は、若い彼らを育てたおなじやり方を、捨てられないのかなとも思った。
でも、木村君の仕事とはもうあまりかかわりはなくなるだろうから、これから先にはあまり興味がない。