ファンって

何をやっても、しばらくの間はまだざわざわするんだろうな。

ファンって何だろう
基本はその人の発信するものが好きということから始まるのだと思う。
音楽だったり、映画だったり、どらまだったり
そのうち、このひとはどんな人なんだろうと興味がわいて
その「人」自体に、重点が移ってしまう。
ここが沼にはまるか、岸で冷静に鑑賞できるかのわかれ目かな(笑)

誰々のドラマだから見るまではいいとして、誰々のドラマだから一番でなければいやだと思いだしたら要注意なのかもしれない(笑)
私も人のことは言えないけど(笑)
正直なところ、木村君のドラマや映画でも、どれもこれも好きというわけではなく、これは受け付けないというものもあった。
だけど、それを口にすることに自主規制をかけるようになっていたのは確か。
もう身内感覚で是も非もなく応援するようになるのが、はまってしまったという状況なのかも
そういう意味では私も立派な沼の住人。木村拓哉さんが他人とは思えないもの(怖)
日々、家族の出来事のように動向を追い、一喜一憂し、一日の重要事項になっている(笑)

木村君が人生の一部としてと言ってくれたのは、こういうことだと思うし、
そんな存在を、温かい気持ちでまっすぐ受け止めてくれたのがうれしかった。
それだけで何をしたわけでもないのに報われた気がしたもの。

タレントさんにとっても、こういうファンの存在はありがたいものであることは確かだろうし、
実際そういう存在があって成り立つ職業だと思う。
だけど、いくら身内感覚と言えども、それは表に出ているタレントとしての存在に対してであり、
タレントとファンは、ある距離の上に立つ関係だということを忘れてはいけないんじゃないかと思う。

私は木村拓哉さんというタレントが好きだけど、実際彼がどんな人なのかは知らないし、
興味はあっても、見えているもの以外、そこは、分厚い壁が立っていていいと思っている
だから「まったく、あそこの嫁は〜」なんて近所のおばちゃんみたいな感覚ってやっぱり違和感がある。

木村君がタレントとして表に出しているものが私にはすべて。
木村君も、何かあるごとに、仕事で返していくしかないといっている。
そこにタレントとして、ファンに甘える姿勢がないことにいつも感心してしまう。

彼は、必要なものはいつも自分で語ってきたし、私はそこに裏表も暗号も感じない。
ファンはいつだって自由、自分の思う通りの存在でなくなったら、
今ある姿が愛せなくなったら、去っていくことも自由
去りがたくて、自分のおもう姿に無理やり押し込めようとするのは、申し訳ないけど自己愛としか思えない。

私は自分が木村君の作品をこれからも楽しみたいと思っているから応援する!
あれもこれもと求めることをやめない
雑誌だってこれからも見たいと思うから売り上げに貢献する
すべて自分が楽しみたいため。

もういい加減、楽しい方に、愛する方に、方向転換したほうがいいんじゃないかな
彼らはそういう存在じゃ無かったっけ?