ずいぶん前、木村君の夢を見た
もともと、ぐっすり寝てしまうらしくほとんど夢は見ないし、まして木村君の夢なんて今までに2、3回しか見た事がない
その貴重な夢の一つ

家の一階から火が出て、気が付いた私が2階にいる人を助けなければと走り出す、
2階には夫となぜか木村君が寝ていて
夢の中ながら、はてどっちを先に助ける?と一瞬考える私(笑)
次の場面、私は夫の部屋に真っ先に駆けつけていて、おとーさんおきて!!火事!と揺さぶり起こし
「隣の部屋に木村君が寝ているの、一緒に来て!」と二人で救助に向かうという夢(笑)
夢の中ながら、真っ先に夫を助けに行った自分にほっとした。
ご本人は一度も出てこなかったけど、夢の中で木村君は、なんだかとても大事で、使命感に駆られて助けに行ったという感じ
その後どうなったのかは、夢だからわからないけど、夫と一緒に木村君を助け出したと思っている(笑)
夢が潜在意識の表れかどうかはわからないけれど、我ながらなかなかおもしろいなと、よく覚えている
人それぞれに、大事なものや人があると思うけれど、私にとって木村君は大事な人ではなくて大事なものなのだと思った。
当たり前のことながら木村くんにもリアルな生活があり、そこで体温を感じる人たちに囲まれている。
大事な人というのはそういう存在なのだ。
それは家族ばかりとは限らない。友人だったりわんこだったり。
リアルに体温が感じられるか、感じられないかそれが大きな違い

で、ふと思った
私にとって木村拓哉という人は、私が作り上げた、ひとつの理想像
つまり私の一部(笑)
もちろん架空の人物ではないので、実際に木村君の書いたもの、語ったもの、彼を実際に知っている人たちの言葉、から形作られているけど、
いろいろな情報の中から、自分好みの要素だけ選択してできている木村拓哉像。
だから、どこもかしこも理想的に私好みなわけで、嫌いになりようがない(笑)
芸能人に限らず、現実に交流のない人に対しては、思い込みの部分は大きいとは思うけれど、
でも一つ言えることは、ここまで長きにわたって、自分のすきな木村拓哉像を磨き上げ続けてこれたのは、木村拓哉という人が、常に心躍るものを発信してくれたからだと思う
体温を感じることができない、木村拓哉という人が自分の中で生き生きと生き続ている。
それが自分自身が作った理想像であるとしても、全くの虚像ではないと信じられることがファンとしての原動力かな