再び、拳をにぎりしめなおす


昨日は雲一つない、青空。
近くの天神様の梅園に、梅見に行った。
天神様とあって、受験生とその親御さんと思しき参拝者も多く、今は社会人になった子供たちの受験の頃を思い出した
息子の願書をもってお参りに来た日は、雪が残っていて、神社の坂道で滑って転んで願書を落とすという、受験生の母としてあってはならないことをやってしまって(笑)
そのせいかどうか、浪人するはめになった息子も、今ではかわいいお嫁さんと幸せに暮らしている
その当時、人生の一大事みたいに思っていたことも、通り過ぎれば、それはそれなりに何とかなっていることにあとから気が付く。
でもそれは何とかなったというよりは、一方方向にしか流れない時間の中で、もがきながらその一瞬一瞬をやり過ごした結果、過去のことになったということに過ぎないのかもしれない
何もかも過去になるって救いだなって近頃思う(笑)
でも矛盾するかもしれないけど、だから今、この瞬間が大事。過去も未来もその時点の現在の結果でしかないから。
これって、当たり前のようでいて、実はなかなか気づかないことなんじゃないかと思う。
私にそれを教えてくれたのは、木村くん。
彼は、とてもシンプルで、当たり前だけど大事なことをいろいろ教えてくれる。
本を読まないと公言している彼の人生哲学は、借り物の知恵ではなく、すべて自分の体と心に傷を負いながらてにいれたもの。
だから説得力がある。
神社でお参りをするとき、必ず木村くんとご家族の幸せを願うようになってから何年たつだろう(笑)

彼の強さというのは、どんな傷を負っても、そこから何かを学び、プラスのエネルギーに変えてきたところだと思う。
でも限度があるよね
傍から簡単にどんな傷を負ってもなんて言っているが、それは常人には想像もつかないものだということは
今の状況から見てもわかる
こんな状況がいつまでも続くと、さすがの彼だって投げ出してしまうんじゃないかとハラハラすることがある。
彼の人生だ。いつやーめた!と言ったって誰も文句は言えない
もしかして、それすら狙っている?と思われるほどのひどさだ。
この頃よく言葉にする「求められれば」という言葉、過去に言った、「いてもいいんだ」という言葉。それほどの状況だということかもしれない。
すごい風が吹いているんだな、と改めて思う

新聞や、雑誌、あらゆるメディアを使ったヒステリックな中傷は、昔子供たちが見ていた里見八犬伝で「玉梓が怨霊〜」なんていうのがあったが、〇〇の怨霊〜みたいなものも感じる(笑)

でも、木村君が現場で生き生きと仕事をしている限り、そんなものに負けるわけにはいかないんだ。
去年の暮、負けない!!と一年間握りしめていた拳を緩めたけれど、また、強く握りしめた

もうすぐA LIFE が始まる