言葉のいらないコミュニケーション

木村君の番組で好きなのが、ドキュメント形式のもの
思い出すだけでも、カーボーイ体験記、大西部を行く、後、MIJの時の納豆やさんに行った時のもの、などがあるけれど
中でも一番好きなのが、子供病院を訪ねたもの。
これは録画するようになるはるか前の番組で、ネット上に時々挙げてくださるのを見つけては、何度も見返している
それを見て、いつも感じるのが、木村君のこころの垣根のなさ。
言葉を話せる年齢の子も、赤ちゃんも、あっと言う間に木村君に心を開いていくのがよくわかる

闘病中の女の子が、木村君の背中に、小さな手を入れて「あったかーい」といって、とびっきりの笑顔になる
まだお座りもできない、やっと寝返りができるようになった赤ちゃんの横に木村君が並んで寝転ぶと、赤ちゃんがくるっと木村君の方に寝返りをして、ニコッと笑って手を差し出したのは、なんだか奇跡を見ているみたいだった(笑)
木村君は、そんな風にいきなり懐に飛び込めるような安心感を、子供たちに感じさせる何かを持っているんだろうな

カウボーイ体験の時も、まだ木村君は明らかに英語は得意ではないようだったけれど、牧場の人たちが、時間とともに木村君を受け入れていくさまがよくわかった。
それは、言葉を通じてではなく、気持ちの底にある心が通じていくさまを見ているようだった。
言葉が通じたら、言葉を通じていろいろな気持ちを細かく説明することもできるけれど、できなくてもコミュニケーションはできる
大事なのは言葉ではなくて「人」なんだと、こういう場面の木村君を見るといつも思う。

英語で思い出したけど、またくだらない中傷記事が出てるのだとか
でも、例えば、木村君が英語が得意じゃなかったとして、それが何か問題なの?と思ってしまう
日本で俳優をやっている人が,たとえ英語ができなくても何か問題なの?(笑)
鬼の首でも取ったようにそんなことを書くあなたは、さぞかし、何か国語も話せて、木村拓哉並みに何でもこなせる人なんでしょうね、と嫌みの百個も言いたくなる。
なんだかみじめにならないかしらね、
残念ながら、三池監督のお話では、外国から来たお客様と、普通に会話をしていたそうですよ。