太陽と北風

後輩Gのメンバーのファンの方が書いたブログに涙が出てしまった。
あの騒動の最中こんな風に木村君を見て下さっていたのかと、なんだか自分の悔しさが解けて涙になる思いだった。

あの騒動の時の木村くんのことを、必死に踏ん張っている、あの木村拓哉がバッシングではなく、解散することにこれほど憔悴していくのを見ていて悲しくなったと書いてくださっている。そしてそれを見てもバッシングをする人間の醜さも見たとも。

あの時、笑顔を見せつつも。どんどん憔悴していく感じの木村君が痛々しかった。
自分がバッシングを受けていることでではなく、守らなければならないもの(グループの存続だけではなく、通すべき筋)守れないことにひどく傷ついているように見えた。
そのことを、わかってくださっていたんだなと、心のとげが解けていく感じがした。
自分のすきな方と通じるものを感じて無限の住人を見てくださったようだけれど、木村君のこれからに期待してくださる言葉もうれしかった

そしてこの方のブログを読んで、自分がどれだけ視野が狭かったか気が付いた。
好きなものが唯一無二の存在で、だれにもかないっこないと思うのは仕方がないこととしても、だからと言って、それは世間一般の物差しではないことを自覚しなくてはいけない。
知らず知らずに、好きなあまり、他を否定する思考回路に陥っていたところがあったなと
好きなものは他を否定しなくても好きでいられるし、自分にとっては一番なのだ。比較すること自体が無意味
それぞれがオンリーワン
もう聴くのがつらくなってしまった、あの歌の一番言いたかったことは、こういうことでしょう?


私は木村拓哉さんが好き、世界一かっこいい男で、こんな人には金輪際出会えないと思っている。
でも世の中には、きっと素晴らしい人がたくさんいて、その人のことをそんな風に思って応援している人もいっぱいいるってことも事実だという
すごくシンプルなことに気が付かせてもらった。

私、このブログを書いてくださった方の好きなタレントさんを、遠くから応援しようと思います。

そうやって好意の輪が広がっていけば一番いいのでしょうね。

メディアに煽り立てられて、いろいろな対立構造ができてしまっているこの状況の中で、我を失わずにいるのは難しいけど、
少なくとも、意図的に煽り立てるような輩の、思うつぼにははまるまいと思っている

私の嫌いな人は、誰かの好きな人であるかもしれないということを、みんなが忘れなければいいと思う
嫌いを好きに変えるのは難しくても、そのくらいの想像力は働かせようと思う
どんな場所にも声高に、極端な意見を言う人がいるけど、そういうものをスルーするだけの気持ちの余裕が持てたらいいなと思う