映画は監督のもの

あれがダメならこれ、と手を変え品を変え繰り返される、本当にばからしい中傷
子供の悪口レベルだ。
そして子供の世界と同じく、周りで一緒になってはやし立てる人たちがいる
種をまけば、わっとそれに群がって、悪口を拡散してくれるのだから、簡単だ。
あのカンヌでの輝かしい光景を汚して何がしたい?と思う
あの場の印象をどう語るかは自由だけど、はじめに木村たたきありきの底意地の悪さが明らかで、なんともやりきれない。
人の成功を一緒に喜ぶ余裕が、いつからなくなったんだろう。
気に入らないものを理屈抜きで叩き潰すみたいな、余裕のない社会は誰のためにもならないんじゃないかと思った。

映画は監督のもの。
カンヌ映画祭で改めて思った。
そういえば黒沢監督の、北野武監督のと映画には監督の名前が冠される。
監督の名前の前に主演俳優の名前が出ることはない。
そういう意味でも木村君の映画の特異さを改めて思った。
興行成績から、映画の内容まで主演俳優の名前でけなされたり、持ち上げられたりする
カンヌではあくまでも、三池崇の無限の住人、日本では木村拓哉無限の住人
こんなところにも的外れな中傷が木村拓哉に向けられる要素があるのかもしれない。
これからたくさんの映画に出てほしいと思っているけど
木村君が、俳優部の一員として、本来の参加の仕方ができるようになるといいなと思う