無限の住人2回目

2度目のほうが面白く感じた
決して、チャンバラ映画のようにスカッと切って爽快!という映画ではない。
切られた万次も相手も、血を流しのたうち回り、見ているこちらにも伝わってくる肉体の痛み。
切られても、切られてもたち向う。その様は無様といってもいい。
だけど、なぜかそこに残る、爽快さ。
それは、死力を尽くすことに感じる爽快さなのかもしれない
弱いものを一方的にいたぶる暴力とは違う。相手の命をおもちゃのように扱う暴力でもない
自分の命を懸けた戦いなのだ。
よく時代劇に「飛び道具(鉄砲)を使うとは卑怯」というセリフがあるように、武士にとって肉体と肉体をぶつけあって戦うことこそプライドなのだろう
それは剣豪と言われる人も、一瞬で切られてしまう雑兵も同じ。
まさに命を懸けたプライドのぶつかり合い。
ひたすら人が切りあうのを見ているのに、気持ちが昇華していく

原作を途中で挫折したのは、凛のキャラがダメだったと前に書いたけれど
原作の凛は、少女の姿をしているのに、どこか女を感じさせるところがあって、私はそこがダメだった(笑)
原作ファンはきっと凛のそういうところも含めて、凛なのだと言われるかもしれないけど、好き嫌いはしょうがない。
例えば、本気を見せろと言われて帯をほどこうとするシーンも、槇絵についていった万次を見送る視線も、そこに女としての要素があるなしでは全く受ける印象が違う
花咲さんの凛は、少女として、万次にほのかな感情を見せるだけというところが、私はすきだ。
万次と離れて一人でやってみると出ていった、ずんずんと、音がしそうな歩き方も少女らしくて好きだ。
あれから先少女が大人になっていく過程で、万次との関係も変わるのか変わらないのか、それはわからないけれど
あの時点で、少女とおじさんという設定が、いいと思った。

無限の住人を見て、感想の中に木村も、拓哉も出てこない(笑)
ファンとしてどうかと思うけど、今のところ木村拓哉を思い出すことがないのは、それはそれですごいことだと思う。

その代わりというわけではないけど、徹子の部屋で、10年前に出演した時のVTRを見る今の木村君と、10年まえの木村君を同時に見れるという幸せに浸った
大好きな木村拓哉が同じ画面で2人見れるって、すごくうれしい(笑)