最上と諏訪部

最上と諏訪部のシンパシーのもとになっているインパールというのは、罰せられずに見逃される巨悪への怒りなんだろうか。
全く立場の違うこの二人の、誰よりも通じ合っているいる根っこには、刷り込まれてきた、同じ怒りがあるように見えた。
真っ向から対立する立場なのに、なぜか親子のようで、最上が諏訪部に甘えているようにも見える
よくわからない怒りや絶望感が、二人を尋常でない道を歩ませている。

最上は、一歩間違えれば、諏訪部と同じ道を歩む要素をはらんでいる人なのだと思った。
最上の底知れない闇。
その闇にふたをしていた理性を吹き飛ばしたのが、松倉の自白だ。
深淵の蓋を取り払った最上は、諏訪部と同じ。
二人はいとも簡単に共犯者になる。

私は松倉の最後はあれでいいと思った。法で裁けない悪のさばき方として、あそこが一番映画らしい決着のつけ方だと思った。
チャンバラ映画で、袈裟懸けに斬られてどうと倒れる悪役に湧き上がる拍手、みたいな気持ち?

悪は法律で裁くのが当たり前だけど、法で裁けない悪はどうする?
人権派の大物弁護士、白川のうさん臭さを見ると、いったい正義とは何なのかと考えてしまう。
しでかした罪を償うことなく野放しにされる悪人。
被害者や家族の気持ちは?
それでも犯人の人権は守られるべきだとはわかっていても、最上、諏訪部に共感してしまうのはどうにもならない。

運び屋のお姉さんも素敵だった(笑)