木村の光と二宮の闇

映画誌4誌を読んだ
同じインタビューをもとにした記事のようだけれど、それぞれに見どころがある
印象に残ったのが、シネマスクエアの現場レポート。
本来ヒールであるはずの最上が光を、最上を追い詰める沖野が闇を漂わせるという一文がとても印象に残った。

私は木村拓哉という人は、光を表現する人だと思っている。
どんなに汚れていようが、どんなに悪にまみれていようが、そこにはかすかでも光が見える。そんな人だと思っている。
たぶん私がここまでこの人が好きなのは、そういうことだと思う。
この人の持っている人間としての消しようのない光、そこに多くの人が惹かれてきたのは確かだと思う
そしてそれはどんな闇を演じても、そこに何かしらの共感を生み出すことができるのではないかと感じたりする。

こんなことを書くと、キムタクはキムタクしか演じられないと言ってるようなもんじゃないのかといわれそうだけど、
極端なことを言えば、それはその通りではあるけど、キムタクはそう簡単に現れる存在ではないのだ。
キムタクにしか表現できない悪も、闇もある。そしてそれはキムタクであるからこそ、共感を生んだり、魅了されたりする存在にもなると思った

そして二宮の闇、
私は二宮和也という人をあまり知らないけれど、かわいらしい容姿や飄々とした態度からは想像できない、誰も寄せ付けない心の場所を持っている人のような気がした。
インタビューの言葉の端々からも、理知的で物を深く考える人という印象を受けた
そして彼が抱える深い暗がりが、演じ方によっては正義感に燃える若い検事として薄っぺらになってしまうかもしれない沖野という役に陰影をつけて、深いものにしたのだろうと思った

正反対とも思える二人の役者が演じた、闇の中の光と、光の中の闇
最上の光、沖野の闇・・・・・想像しただけ、で身震いするほど映画が楽しみになった